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【岡田更生館事件】大森実記者と小西記者の潜入取材の結末は?ネタバレ!

アンビリバボー岡田更生館事件の潜入取材の結末は?

アンビリバボーで取り上げられた「岡田更生館事件」のネタバレ!

2020年9月3日放送の『奇跡体験!アンビリバボー』では、戦後の混乱期に起こった「岡田更生館事件」が扱われます。

日本一の〝優良施設〟といわれた「岡田更生館」の裏の顔!?
命がけの潜入取材!社会の闇を暴くべく闘った、新聞記者たちの実話!

1949年、毎日新聞大阪本社に北川と名乗る男が駆け込んできて、自らの身に何があったかを話し始めた。

北川が職探しで岡山県を訪れ、倉敷市の駅で野宿していた日の朝、通りかかった県の厚生課の職員から施設「岡田更生館」への入所を勧められた。当時は、戦後の混乱期。復員兵や引揚者など戦争によって居場所を失った路上生活者が日本各地にいた。そんな彼らを収容するために作られた施設のひとつが「岡田更生館」だった。県の職員は言った。施設では十分な食事が用意され、仕事もある。働けば賃金が与えられ、貯金も可能だと。

だが、現実は大きく異なっていた。北川によれば仕事もなく食事も十分に与えられず、北川がいた約1ヶ月の間だけでも50〜60人が栄養失調で亡くなっており、日常的にリンチや殺人も行われていたのだという。北川は監視の目をかいくぐって何とか脱走に成功し、岡山から大阪にある毎日新聞本社へ逃げてきたのだ。

この話を聞いた大森記者はにわかに信じられなかった。本当ならば、とうに大問題になっているはずだ。しかしこの話が本当なら…? 大森は調べてみることにした。まず岡山県庁で話を聞くと、その施設への悪い評判は皆無。北川の証言を裏付ける話は一切出てこなかった。しかし、過去の新聞記事を調べてみると、脱走者が施設内での暴力を訴えたという、小さな記事を見つけた。しかしその後の警察の調査で、暴力は否定されたという。

果たして「岡田更生館」は優良施設なのか?それともリンチや暴力など繰り返される、恐るべき施設なのか?

実態を探るため大森は小西記者と2人で自ら路上生活者に変装、施設に潜入を試みる。
無事脱出できなければ殺される可能性もある中、命懸けの潜入取材が始まる!

番組HPより

潜入捜査をした毎日新聞社の記者・大森と小西の潜入取材の結末は?岡田更生館の実態は?

事件の概要を簡潔にまとめました!

もくじ

【岡田更生館事件】潜入取材をした毎日新聞社・大森実記者プロフィール

大森実出典:http://memory-jp.com/pc_memory/pc_container/memory_2010/data_12.html

名前 大森実(おおもりみのる)
生年月日 1922年1月13日
没年月日 2010年3月25日
出身地 兵庫県神戸市

1945年に毎日新聞社大阪本社に入社し、大阪本社社会部にいる頃に岡田更生館事件を暴きました。

その後、1954年から1962年までの間にワシントン特派員・ニューヨーク支局長・ワシントン支局長を歴任。

帰国後の1962年に東京本社外信部長に就任し、1965年には自ら現地に入りベトナム戦争の取材を行います。

1966年に毎日新聞社を退社し、1974年にアメリカカリフォルニア州に移住しました。

2010年3月25日に肺炎のため88歳でこの世を去りました。

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【岡田更生館事件】潜入取材まで

模範施設として有名だった岡山県の岡田更生館は、戦争の影響で浮浪者となった人々を収容する施設だった。(後にミステリー小説で有名になる作家の横溝正史氏がこの近くに疎開していたことでも知られている)

1949年、毎日新聞大阪本社に収容者が多数虐待死させられているという情報がもたらされる。

施設の実情を訴えたのは、岡田更生館を脱走した放浪詩人・北川冬一郎。

北川は駅のベンチで寝ている所を岡田更生館の職員に甘い言葉で誘われ施設に入所した男だった。

職員によれば、入所すれば衣食住に困らず仕事が与えられ、金を貯められるという。

だが、実際の施設はというと、入所するとすぐ丸坊主にされ、衛生状態の悪い土蔵のような建物の中で暮らし、満足な食事も与えられないような環境だった。

北側はなんとか脱走したが、地元の警察や県もグルなのではないかと疑ったため大阪の毎日新聞の大阪本社に向かった。

当時社会部の記者だった大森実は、はじめは北側の話を疑ったが、過去に脱走者が同じようなことを訴え調査されたという小さな新聞記事を見つける。

そのときは問題なしという結論が出ていたが、施設を下見し何かあると感じた大森は、県警の協力を得て同僚の小西と浮浪者に変装し、潜入取材をすることに決めた。




【岡田更生館事件】潜入取材の結末は?

2人の記者は潜入してすぐ現実を目の当たりにする。

そこは、たった6畳ほどの部屋に15人が折り重なるようにして寝起きするという劣悪な環境だった。

収容者の間には結核と疥癬(かいせん)が蔓延し、食事もろくに与えられず、皆痩せ細って飢餓状態に置かれていた。

また、収容者の中から選ばれた"指導員"の暴力が常態化し、脱走をしようとした者は激しい私刑に遭うなどして多数の死者が出ており、遺体は裏山に作られた火葬場に運ばれ秘密裏に火葬されていた。

しかも、遺骨が骨箱に納められることもなく、焼却炉の広場にそのまま埋められていた犠牲者が大勢いたことも後に判明した。

潜入の翌日、あらかじめ打ち合わせをしていた段取りで救出されることになっていた大森は、脱走者が実際にどのような目に遭わされるのかを知るために脱走を試みる。

すぐに施設の指導員たちに捕まり暴行を加えられそうになった大森は正体を明かし、とっさに近くにあった電話で毎日新聞の本社に救出を依頼。

間一髪のところで救出される。

救出された大森実記者はその足で旅籠屋に行き、缶詰状態で記事の執筆に取りかかる。

毎日新聞に最初に掲載された記事には潜入取材のことは一切書かれていなかった。

岡田更生館が県営であったことから、施設の実態を報じた毎日新聞に岡山県は猛抗議し、他の新聞社も当初は毎日新聞の捏造だと県側に同調する記事を掲載していた。

しかし、その後毎日新聞は潜入取材で得た動かぬ証拠を突きつけ、他社を黙らせる。

それでも施設側は実態を隠そうと入居者たちに演技をさせ乗り切ろうとするが、実際に潜入していた大森の言葉を聞いて真実を語った。

岡田更生館の事件は国会でも取り上げられるようになり、やがて関係者は全員逮捕・起訴され有罪が確定する。

この事件の真相は、収容者を養うための公金を施設長らが横領しており、そのことが外部に漏れないよう収容者を厳しく監禁していたのだった。

現在岡山県には事件の記録はほとんど残っていないという。

※1週間ほど前まではWikipediaにて潜入捜査の詳細が全て読めたのですが、現在その項目が全て削除されています。(著作権侵害の申し立てによるもののようなので、大森氏の著書からの引用がほとんどだったのかもしれませんね。)

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