推理小説家ダイアンが大量殺人鬼と共に解決した殺人事件の真相とは?
2020年4月30日(木)に放送される「奇跡体験!アンビリバボー」では、ノンフィクション推理小説作家ダイアン・ファニングさんが解決したアメリカのある事件について特集されます。
息子殺害の犯人は一体誰? 疑惑の殺人事件に協力を依頼した先は大量殺人鬼!?
様々な実録事件を著書にまとめ数ある賞を受賞した1人のノンフィクション推理小説作家、ダイアンさん。彼女は2006年、”ある事件”によって世間から注目を浴びた。それは賞を受賞したことではなく”ある事件”の真相を明らかにしたことである。
1997年のアメリカで10歳の男児が部屋で殺害される事件があった。逮捕されたのは、男児の母親だった。
この事件の報道をテレビでみたダイアンは違和感を覚えた。「本当に彼女が犯人なのか…?」
気になった彼女はある人物に手紙を書いた。その人物こそ、”大量殺人鬼”だった。
彼はアメリカで20年に渡り老若男女問わず70人を殺害。死刑囚として刑務所に収監されていた。大量殺人鬼の彼であれば事件の真犯人の心理や手口がわかり、真犯人へ導いてくれるのでは?とダイアンは考えたのだ。
まるで大ヒット映画「羊たちの沈黙」のレクター博士とクラリスを彷彿させるこの事件。しかし、この彼女の考えこそが世界を震撼させる展開をみせることに!
事実は小説よりも奇なり!真犯人とは一体誰なのか? アンビリバボーな殺人ミステリーの真相とは?番組HPより
推理小説作家がトミー・リン・セルズという名の大量殺人鬼と共に事件を解決に導いたというこの物語。
この事件の真相とは?一体どうやって明らかにしていったのか?
現地のメディアの報道から、詳細をまとめていきたいと思います。
もくじ
【アンビリバボー】推理小説家ダイアンが解決した殺人事件の真相とは?
ダイアン・ファニング(Alchetronより)
アメリカのノンフィクション推理小説作家ダイアン・ファニングさんが殺人鬼トミー・リン・セルズと共に解決に導いた事件について、時系列順に追っていきます。
事件発生
ハーパーとジョエル(University of Illinoisより)
アメリカイリノイ州南部の小さな町ローレンスビル。
1997年10月13日の午前4時頃、叫び声で目を覚ましたジュリーレアハーパーは、10歳の息子ジョエルの部屋に行き息子が見当たらないことに気づく。
すると、ベッドの反対側からマスクをした何者かが飛び出してきて、ジュリーに向かって突進してきた。
揉み合いになった2人はそのまま裏庭に出て、ジュリーは地面に頭を叩きつけられ男はマスクを外し逃げて行った。
ジュリーは近所の人の家に駆け込み、息子が何者かに誘拐されたと訴えた。
その際、ジュリーの右腕には縫合が必要なほどの切り傷があったという。
数分以内に警察官が到着し、ベッドの横に男の子が倒れているのを発見した。
裁判で検察官は、家の中や庭の芝生に乱闘の証拠はないと言ってジュリーの話に疑いを投げかけようとした。
ガラスが割られていたにもかかわらず、警察は家に侵入の形跡はないと言った。
専門家と捜査官は、ジョエルが首・背中・ふくらはぎなど計13箇所を刺され、内2つの傷は心臓に到達していたと証言。
血痕からジョエルはベッドの上で刺されて30秒以内に死亡していると見られ、ジュリーの証言(悲鳴を聞いてすぐに部屋に入ったがベッドの上にはいなかった)とは矛盾が生じていた。
ジョエルを刺すのに使用された血まみれのナイフからは指紋が検出されなかった。
ジュリーは数年前に夫と離婚し親権争いの末ジョエルの共同監護権を得たが、ジョエルは普段父親と一緒に暮らしていた。
心理学の博士号取得のため大学に通っていたジュリーは、主に週末をジョエルと過ごしていた。
ジョエルが殺害された日、母子はマクドナルドで食事をとり、22:30に就寝するまで自宅でビデオを見ていたという。
2000年10月12日、ジュリーは起訴されるも、一貫して無実を主張。
元夫はジュリーを疑っており、裁判でも不利な証言をしていた。
2002年3月4日、陪審員はたった5時間あまりの審議の後にジュリーレアハーパーを有罪とし、裁判官は彼女に65年の禁固刑を言い渡した。
大量殺人鬼の証言
トミー・リン・セルズ(Murder in the Rainより)
2002年5月31日、テレビ番組「20/20」で特集されたジュリーの物語を見た推理作家のダイアンファニングは、ジュリーの無実の訴えに心を動かされる。
そして、テキサス州の死刑囚であるトミーリンセルズにこの事件について尋ねることにした。
ダイアンは本の執筆のために2001年から40時間以上セルズへのインタビューを行っており、この質問も定期的なやり取りの一環だった。
だが、2002年7月、驚くことにセルズはイリノイ州南部の町で見知らぬ家に侵入し少年を何度も刺して殺害し、その後女性によって家から追い出されたと語ったのだった。
ダイアンはセルズに事件の詳細は伝えていなかったにも関わらず、セルズから自分がミズーリ州スプリングフィールド犯した別の殺人事件の2日前に起こった事件のことかという手紙を受け取る。
それは、ジョエルが殺害された日と一致していた。
ダイアンはセルズの証言が記された手紙のコピーをイリノイ州警察に提出した。
セルズはテキサス州デルリオで2人の少女が喉を切られ1人が死亡した事件で逮捕され、死刑が決まっていた。
セルズは逮捕されて以来全国の数十件の殺人事件の容疑を認めていたが、死刑を延期するための嘘であるとも指摘されていた。
ダイアンはセルズに1997年の事件について詳細を語るよう説得し、2003年にその告白をまとめた著書を出版した。
セルズによれば、事件当日、セントルイス地域を出て州間高速道路64を東に向かい、その後ローレンスビルに直結するイリノイ州高速道路50に向かった。
セルズがコンビニエンスストアで出会った女性に近づいたとき、彼女は「彼を無礼に扱った」のだという。
怒りを感じたセルズは、復讐のために女性の家まで追って行った。
家に着くと、セルズはシャツを手に巻きつけて家の窓を割りキッチンに入ってナイフをつかみ、最初にに目に入ったジョエルの部屋に侵入したと語った。
これは現場の状況とも一定していた。
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これらの証言を元にジョエルを支援する団体による裏付け調査が行われ、事件当時の警察のずさんな捜査が明らかになった。
釈放
2004年6月24日、控訴裁判所はジュリーの有罪判決を破棄し、彼女の即時釈放を命じた。
しかし、検察官は彼女が無実であるという圧倒的な証拠を無視してジュリーを再逮捕。
支援者たちは、1週間もしないうちに75,000ドルを集め、保釈金を支払った。
そして2006年7月26日、12時間に及ぶ審議の末、陪審員はジュリーを無罪とした。
釈放から5年後の2011年5月16日、ジュリーハーパーは大勢の人の前で彼女の“英雄”であるダイアンファニングと熱い抱擁を交わした。