【世界の何だコレ!?ミステリー】村人たちがどんどん倒れてしまう「ほっぱん」は名主のたたりなのか?わかりやすい内容ネタバレ
2020年9月9日放送の『世界の何だコレ!?ミステリー2時間スペシャル』で放送されたのは以下の事件です。
村人に次々と襲いかかる謎の現象
名主の祟りと恐れられた「ほっぱん」それは、高知県のとある村で長年言い伝えられてきた…
夏になると、発疹を伴う発熱、さらには体のどこかに、謎のかさぶたが残り…
最悪の場合、死に至ってしまうという“原因不明の病”が、村人を襲っていた。
現地では、かつて村人のために命を落とした名主の祟り「ほっぱん」と恐れられてきたという。村人を襲うこの現象に、ある1人の男が立ち向かう。
「ほっぱん」とは一体何なのか…番組公式サイトより引用
高知県、「土佐のほっぱん」と呼ばれる謎の現象が村人たちを襲っていた。
「ほっぱん」とは何なのか?
本当に、村人のために命を落とした名主の祟りなのか?
『何だコレ!?ミステリー2時間SP』で特集された「ほっぱん」についてまとめました。
もくじ
ほっぱんとは?土佐(高知県)で起きた村人を襲った祟りの正体とは?
番組公式サイトより引用
夏になると村人たちは、赤色や紫色の発疹が出る熱や、体のどこかにかさぶたが残る謎の病に襲われていた。
最悪の場合は、発病からわずか数週間のうちに半数以上が死亡してしまうという恐ろしい原因不明の病。
村人たちの間では、かつて村人のために命を落とした名主のたたりだと恐れられ、それは「ほっぱん」と呼ばれていた。
ほっぱんの調査へ
1951年6月。
当時東京大学助教授で伝染病研究生主任の寄生虫学者の佐々 学(さっさ まなぶ)は、公衆衛生の講演を依頼され、高知県を訪れた。
佐々は以前から高知県で起こる原因不明の病気「ほっぱん」の存在を聞かされており、ある病ではないかと可能性を考えていた。
高知県を訪れる今回、その病の調査をすることにした。
病気が報告されていたのは、海沿いの小さな集落、伊田地区だった。
長旅の末到着した高知で講演を終え、佐々は関係者たちと一緒に医療器具を持参し集落へ向かった。
到着した伊田地区は、山と海に囲まれた100軒ほどの集落だった。
ほっぱんについての伝承
番組公式サイトより引用
佐々が原因不明の病の正体だと考えていたのはツツガムシ病と呼ばれるもの。
ツツガムシ病は稲作が盛んな地域の大きな河川敷で罹患するものと認識されていたため、伊田地区の集落には発生する様子が見られなかった。
佐々たちは「ほっぱん」に深い関心を持つ人物、沢田文五郎から集落に伝わる伝承を聞いた。
伝承はこのように言われている。
その昔、この伊田の村に掛川信吉という名主がいた。ある時、お上が所有する材木を、伊田の村人たちがお上のものとは知らずに使ってしまった。
それに逆鱗したお上は名主の掛川信吉に自害を命じ、名主掛川信吉は切腹して果てた。「ほっぱん」は、村人の不注意で命を奪われた名主の、お上と村人に対する恨み祟りである。佐々学『日本の風土病』小林照幸『死の虫』より、一部改変引用
Wikipediaより引用
このため、昔から「ほっぱん」は名主の祟りだと言われている。
沢田は患者の記録をこまかく書き残していた。
「ほっぱん」と呼ばれる病は、明治初年から記録として残されており、子供から年寄りまで多数の発症者や死者が出ていた。
人々は「ほっぱん」は名主のたたりだと考えていた。
佐々は不気味なこの話を聞き、ツツガムシ病だと考えて調査に来たことを後悔しはじめていた。
沢田メモ
沢田が手帳に書き残したメモには、約30年間に発生した10例の「ほっぱん」について記録されていた。
その中には、ツツガムシ病ではないかと考えた博士や医師がいた記録もあったが、確証までは至っていない。
藪を伐採してから一時発症者が減ったことも記録されていた。
半数以上が死亡したり、助かった者も高熱が1カ月ほど続くなど、回復に半年かかるケースもあった。
「ほっぱん」はいずれも7月から8月の夏に発症しており、沢田は発症者が出る都度症状を観察しメモしていた。
ほっぱんの症状
沢田が言うには、「ほっぱん」の患者には共通の症状があったそうだ。
ほっぱんの症状は以下の通り
共通するのは、いずれも急に寒気に襲われて高熱がはじまり、1週間ほどすると全身に赤い発疹が現れる。この発疹が赤い色をしているうちはいいが、内出血して紫色になると大抵は助からない。そして体のどこか1ケ所に小豆ほどの大きさのかさぶたができているが、あまり痛みがないらしく、本人は気づかない場合が多い。高熱が出て2、3週間もすると意識が朦朧とし、死への恐怖からうわ言を口走るようになり意識不明となって死亡する。助かった者は、かさぶたが塞がった痕が残る。
Wikipediaより引用
沢田と共に「ほっぱん」にかかったことがある女性を訪ね、へそ付近に「刺し口」と思われる跡を確認した。
また生存している別の人物にも確認したところ、ワキ近くの胸部付近に痕跡が残っているのを確認した。
症状を確認し、ツツガムシ病特有の症状に間違いなさそうだと確信した佐々。
研究者としてツツガムシ病であると確証を得るため、必要なことがあった。
それは生存者の血清から抗体を採取することと、ツツガムシの生息の確認とその個体がヒトに影響を及ぼす微生物を保有しているかを証明する必要があった。
ヒトに影響を及ぼす微生物を媒介するツツガムシの幼虫はねずみを媒介にしていることが多いため、ねずみ捕りを仕掛けることにした。
ツツガムシの確認
ワナを仕掛けた翌日、集落内と畑にドブネズミとアカネズミがかかっていた。
そして調査に協力した伊田地区集落の有志によって、ドブネズミが生け捕りにされた。
ネズミがヒトに影響を及ぼす微生物がツツガムシに寄生されているかを確認しなければならない。
調べると、ドブネズミの耳の中から、うすピンク色のツツガムシが数匹確認された。
集落の住人たちはダニだと考えていたため、佐々たちがなぜ驚き歓声を上げているのがわからなかった。
結果的に、捕獲されたドブネズミ6頭から合計112匹のツツガムシが採取された。
新種のトサツツガムシ
佐々達がそのツツガムシを調べると、日本で報告されたことのない新種のツツガムシだと判明。
佐々はそれをトサツツガムシと名付けた。
トサツツガムシが微生物を保有しているか、「ほっぱん」の媒介者であることを証明するには、研究施設での検証検査が必要なため、後日となった。
現地ではトサツツガムシに寄生されたドブネズミを解剖し、サンプルを持って東京へ戻った。
研究調査の結果、トサツツガムシの幼虫からヒトに影響を及ぼす微生物を検出することに成功。
そのため「土佐のほっぱん」はツツガムシ病であることが特定された。
「ほっぱん」の正体はツツガムシ病
佐々達が伊田地区の集落を訪問してから2か月後の1951年8月。
佐々達は再び高知県を訪れ海岸線を調査した結果、トサツツガムシは各所に散在し生息していることが判明。
さらに2種の新種のツツガムシも発見された。
しかしツツガムシ病の発生事例は伊田地区以外には見つからなかった。
土佐のほっぱんの原因となったツツガムシは、新型のツツガムシだと佐々たちによって解明された。
そのことから、日本各地で原因不明の熱病とされていた複数の風土病が、新型ツツガムシ病であることも判明したのだった。
ほっぱんの正体は風土病のツツガムシ病だった!内容ネタバレ
日本では夏から秋にかけて、今でもツツガムシ病についての注意喚起がされています。
今の時期、草むらを歩いた5〜14日後に、食欲不振、38〜40℃の高熱など風邪のような症状が出て、発疹が顔や体に現れたらツツガムシ病かもしれません。
重症化すると肺炎や脳炎症状を起こし、死に至ることもある怖い病気です。https://t.co/xMwb5v17rb pic.twitter.com/eHRMe6Cw3N— ウェザーニュース (@wni_jp) October 14, 2019
あと少しでツツガムシのシーズンは終わりです。
ツツガムシは極小で見つけにくいですし、マダニは一年中いますので山に入る方は虫除けを!
天然成分のものでなく、ディートもしくはイカリジンの入ったものを!
イカリジンなら子供にも、皮膚が弱い方も使えますし樹脂にも悪影響が少ないです。 pic.twitter.com/cpx0MQGgBI— 野遊びちゃらんぽらん (@yamaF222) February 27, 2020
今回判明したほっぱんは、高知県南西部の特定地域で起きた風土病のことでした。
「ほっぱん」という名前は、その地方の赤い発疹の方言です。
名主の祟りと言われていましたが、トサツツガムシが媒介するツツガムシ病であると1951年に判明しました。
「土佐のほっぱん」と呼ばれたトサツツガムシ病は、1980年以降は新たな発生は確認されていないそうです。
佐々学氏は後日、このトサツツガムシ病についての著書でこのように語っています。
沢田メモは医学にしろうとの古老が、永年の間の資料を克明にのこした、学界には貴重な記録であった。
このメモをヒントにして、われわれのツツガムシ病に関する研究も、それから数年の間にたいへんな進歩をして、外国の学者もびっくりするような医学上、動物学上の新知識もえられたのである。Wikipediaより引用
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また、「ほっぱん」解明についての話は書籍化もされています。
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